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2022年05月30日
No.10002830

いま注目の異業種ビジネス
松茸と近江牛のあばれ食いで年商10億円
大規模FCビジネス/INTERVIEW① 魚松 廣岡利重 社長

松茸と近江牛のあばれ食いで年商10億円
食べ放題の松茸は、メキシコやノルウェー、ミャンマー、ブータンで現地商社が買い付けた物。9月から12月までは風味豊かな生で、シーズンオフとなる1月から8月にはCASという画期的な冷凍方法により、旬そのままの鮮度を保った状態で提供される

「名物あばれ食い。松茸と特選近江牛が一生分食べられる」。こんなキャッチコピーで、多くの客を集め、コロナ前には2店舗で年商10億円を上げていた『松茸屋 魚松』(滋賀県甲賀市)は、今年からフランチャイズ加盟店の募集を開始した。廣岡利重社長は、「成功した店のノウハウをお伝えして、オーナーさんやその家族の笑顔が見たい」と新たな事業展開の理由を話す。

『松茸屋 魚松』は、1000席の店が甲賀市内に2店舗。コロナ前には、京都や大阪から来たグルメツアーの大型バスが、1店舗20台ずつ計40台が連日横付けされた。A4ランクの近江牛をすき焼きで食べ放題。松茸も食べ放題で、すき焼きのほか、松茸ごはんや土瓶蒸しまで付く。「遠くから足を運んででも」というツアー客や個人客が引きも切らなかった。

2020年3月頃に始まったコロナ禍の第一波は、繁盛店も容赦なく襲う。来店客ゼロという日もあり、業績は一向に回復しなかった。この年の売上げは、例年の3分の1以下の3億円程度。それでも、「心配になって見に来た」という常連客が大勢食べに来てくれた。こういう時こそサービスを充実させようという廣岡社長の想いが伝わり、着実に業績を回復してきた。

「コロナ禍なんてたいしたことはない」と笑い飛ばす廣岡社長だが、実は波瀾万丈の人生を歩んできた。

父に教わった商売の基本は
お客様を笑顔にすること


『魚松』のルーツは、祖母廣岡まつさんが魚の行商を始めた大正年間に遡る。先代社長の父吉重さんが生まれた大正13(1924)年以前からの商いで、その歴史は約100年に及ぶ。廣岡社長も物心がつくと、父と行商に回った。小学校5年生からは自転車に乗り、一人で行商するようになった。荷台に積んでいたのは、魚肉ソーセージやハンバーグ、佃煮などの日持ちする食品。売れると、家の表札の名前を見て品目・値段を売掛台帳に書き込んだ。

「父に、『玄関を出る時、必ずお客さんの顔を見るんだぞ。笑顔だったら、喜んでいる証拠だから。商売ではそれが一番大事なんだ』と教えられました」

魚松はその後、仕出しも始め、宴会場を持つまで商売を広げた。廣岡社長は高校を卒業すると、京都の割烹旅館の板前修業へ。しかし、わずか3カ月で「父が敷いたレールの上を走るのはいやだ」と親元には内緒で店を辞めた。

その後、京都の木屋町でバーテンダーとして働き始める。若い女性がいて、酒や簡単な食事も出す「ナイトサパー」と呼ばれる店だった。先輩が次々と辞め、気がついたら店長に昇格していた。高卒初任給が8万円だった頃、月給は30万円。19歳でマンションに住み、国産スポーツカーを2台乗り回した。

29歳で借金総額1億円
大逆転を賭けた商売とは


21歳の時、父吉重さんから故郷の甲賀市に戻って、兄の代わりにスーパーを経営しろと言われた。不義理もここまでと観念し、帰郷した。利益率が2割から3割という薄利多売のスーパー経営を軌道に乗せるには、規模を拡大するしかないと考えた。数年後、銀行から融資を受け支店を2店舗出店するが、これが裏目に出る。資金繰りに苦しみ、最後の2、3年はほぼ無給で、「いつも金策に走り回っていたことしか記憶にない」(廣岡社長)という状況に陥った。29歳の時、2つの支店を閉店。借金は1億円以上にふくらんでいた。そんな時、父吉重さんが声をかけてくれた。「人間は裸で生まれてきた。また裸になっても恥ずかしいことはない」。

廣岡社長が出した結論は、スーパーを居酒屋に転換すること。若いときに慣れ親しんでいた「酒類を提供する夜の仕事」に、人生の大逆転を賭けたのだった。しかし、メインバンクが融資してくれたのはわずか170万円。配線やダウンライトの設置、クロスシートを貼る前の壁の補修は自分でやった。厨房器具は、中古業者からジャンク品をもらい、修理して使った。素材や料理の味と盛り付けには自信があった。

オープン初日の来店者数は30人、売上げは11万4千円と上々だった。その後も順調に売上げを伸ばし、繁盛店になった。「スーパー経営では、利益を追い求め過ぎていました。子供の頃、父に言われた『お客様を笑顔にすること』を最優先にしていたら、自然に売上げが増えていきました」。

1995年、父吉重さんが亡くなり廣岡社長は翌年、36歳で魚松本店を継ぐ。何か店の新しい顔になるようなものをと始めたのが、「松茸と特選近江牛のすきやき食べ放題」だった。

廣岡社長は、この食べ放題に”あばれ食い “と名付けた。松茸と近江牛を豪快に食べることを表現したネーミングも受け、魚松本店はテレビや雑誌に何度も取り上げられた。信楽店もオープンし、旅行代理店は競ってバスでツアー客を送り込んだ。

「商売で一番大切なのは、やっぱり人です。スタッフには、自分の家に来た親戚をもてなすように接客しなさい、方言でもいいから自分の言葉でお客様と話しなさいと教えています」

これまで窮地に陥った時、人知の及ばない不思議な力が何度も自分を助けてくれたと廣岡社長は言う。三十代半ばに、仕事の疲れから居眠り運転をしてしまい、ガードレールを越え崖下に転落してしまったことがある。ところが途中に生えている木に車がひっかかり、九死に一生を得た。

「その時も、何か目に見えない力に助けてもらいました。いつも自らに恥じることのない行動をしていれば、なんとかなる。悪いことは10のうち9は起こらない。それが僕の人生観。もちろん、頑張っても失敗してしまうことだってあります。その時は、天才バカボンのパパのように、『これでいいのだ』と思うようにしています(笑)」

商いの道理に共感できる人と
一緒にFC店を繁盛させたい



今年初めて、新たなビジネスパートナーとの出会いを求め、東京ビッグサイトのフランチャイズ・ショーに出展。すでに、3件のフランチャイズ加盟の商談が進行している。

「飲食店をオープンする際には、極力イニシャルコストを抑えた方がいいというのが、僕のビジネス観。郊外ならば、中古で安くていい物件が手に入る。『松茸とA4ランクの近江牛の食べ放題』は商品力が高いですから、都心から1時間程度のロケーションでもお客さんの方から来てくれることは、直営店2店舗で実証済みです」

建坪が大きく、広い駐車場のあるパチンコ店オーナーの加盟も大歓迎だという。ただし、店長になる人は「店を繁盛させたいという意欲があること」が絶対条件だと廣岡社長は話す。

「オーナーに言われたから、しかたなく来たというような人は、店長として相応しくありません。手が空いたら、自分から店の中をピカピカに掃除をするような人が向いている。お客様に対するおもてなしの心があるかどうか、笑顔になってほしいと思っているかどうかが大事なんです。そういう商売の道理をわかってくださるオーナーさんや店長さんにぜひパートナーになっていただき、僕も一緒に学んで一緒に成長していきたいと思っています」


※『月刊アミューズメントジャパン』2022年6月号に掲載した記事を転載しました。


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